SHUHEI HATANO
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雑感|2026年1月

07.02.2026

 ここ数日、決まって朝6時半に聞こえてくるたくさんのヘリコプターの音で目を覚ます。おそらく近くの駐屯地から、上野原で発生した山火事の消火活動に向かう自衛隊のヘリコプターだろう。

 庭のバラの剪定をする。暖かい日が続いているので、バラが冬眠に入らず芽吹き始めているように見える。心苦しいが春にたくさん新芽が出ることを期待して、枝を短く刈り込む。
 剪定をしながら、いろんなMake America Great Againのパロディを考える。戦国時代に虫けら同然に扱われる足軽が、自分たちの地位向上を訴える集会で唱和するMake Ashigaru Great Again、気に入って通うようになったレストランの味付けがいつもと違う時に、そっと店員に耳打ちするMake Ajitsuke Great Again、などど夢想しながら剪定を終える。
 東京の冬は本当に雨が降らない。晴天の日中は暖かく、近年の夏のような秋より、この秋のような冬の方が過ごしやすいくらいだ。
 息子と公園で遊んでいると、梅の花が満開になっているのに気づく。いくらなんでも早すぎると確かめるが、間違いなく白梅の花だ。側のビオトープの湖面には氷が張っている。季節の巡りがよくわからなくなっている。

 いつも使っているスーパーが建替えのため閉店するので、最終日に家族で出かける。売り尽くしのため、いろいろなものが安くなっている。
 明らかにコートの下に何かを抱えて歩く老齢の男性とすれ違う。そして様子をうかがいながら後を付ける女性店員。そしてその女性店員の後を付ける俺。
 男性が店から出ようとすると、やはり後を付けていた女性店員が呼び止める。コートの下を確認すると、弁当ひとつと惣菜ひとつが出てくる。女性がレジで支払いを済ませるよう案内すると、男性は抵抗することなくレジへ同行する。男性が財布を出すが、中には何も入っていないようだ。レジの若い女性は男性から弁当と惣菜を取り上げ、子供を叱るように話しかけ、何かを書き込んだメモを渡す。警察を呼ぶ様子はなく、諭すように話しているところを見ると顔見知りなのだろうか。常習なのかもしれない。メモを渡されたので認知症かもしれないと思ったが、男性は「どうせ明日閉店だろ」とごねていたので、意識はしっかりしていそうだ。決してきれいな身なりではない男性に、昼飯はどうするのかと少し心配になりながら、店を出て行く背中を見送る。

 妻から、友人の息子が外資系の一流企業に就職し、初任給が45万円だという話を聞き、新卒で45万円ももらえることが果たして彼にとっていいことなのか分からないと答えると、そこに就職するまで死に物狂いで勉強をがんばったその成果なんじゃないと言われ、そういうものなのかといまいち納得できず、そのまま娘の宿題の音読を聞き始める。すると、貧しくて年を越せない老夫婦が雪に埋もれる地蔵を不憫に思い、自分たちの笠を地蔵にかぶせてあげると、その後思わぬ見返りが得られたという「笠地蔵」の話を読み始める。自分の境遇を顧みず徳を積むときっといいことがありますという道徳教育と、受験戦争を勝ち抜いた先には45万の初任給が待っていますという現実がどうつながるのか、訳がわからなかった。

 我が家のファンヒーターは灯油がなくなると「エリーゼのために」が流れる。そのまましばらく放っておくと、そのピコピコ音は、一刻も早く給油せよと激しくテンポアップする。それを聞くたびに、ベートーヴェンはまさか自分の死後に、心血注いで作った作品が、給油の合図として使われるとは思ってもいなかっただろうにと思う。
 スペインでピカソの「ゲルニカ」を見た時にも、戦争の狂気と悲惨が創作の動機になった絵を背景に、満面の笑みで記念撮影をする人たちを見ながら、作品というのは一度作者の手を離れたら、どう見られようが、どう扱われようが、それは作者の与り知るところではないのだと痛感した。
 もうひとつ印象に残っているのは、「ゲルニカ」の絵の向かいに展示してある、完成までの試行錯誤のスケッチだった。この常軌を逸した出来事に正攻法で立ち向かうのではなく、こちらも常軌を逸して立ち向かわなければ描ききれないと、そう思わされるような鬼気迫るスケッチに目が釘付けになった。

 近所に衆議院議員選挙の立候補者ポスターが貼り出された。その中の、参政党から出馬する女性のポスターを見た時に、この写真の感じは見覚えがあるぞと思った。
 体を斜めに向け、若干の上目遣いでこちらを見る女性。その表情はレタッチされたようでシワがなく、頬が赤らんでいる。
 ここ最近、LINEのトーク欄の一番上に「40代、50代男性の為のマッチングアプリ。バツイチOKの女性に出会えます。」という広告が頻出するようになった。その度に削除マークを押して広告を消しては、「ご意見ありがとうございます。今後のコンテンツ掲載に活用します。」という文言に変える。しかし次に開くとまた、バツイチOKの女性に出会えます。と同じ広告が出るので、全然ご意見がご活用されてないじゃないか!と怒りを込めて削除マークを押す。すると狙いがその小さなボタンから外れて広告をクリックしてしまう。急いで消しても手遅れで、そのせいでまた次にトーク欄を開くと、バツイチOKの女性に出会えます。と繰り返される。その広告に映る、こちらを見つめているバツイチOKの女性と、参政党の選挙ポスターの女性の感じが瓜二つなのだ。
 男性の情動を刺激しようとするグラビア写真のイメージを、ついに選挙ポスターにも流用し始めたかと、それは昨今の選挙戦略を見ているとあり得ることかと思ったが、まずそれを行なったのが、情動を刺激することを第一としてきた参政党だったということに、さもありなんと納得した。

 子供たちが昨年の紅白歌合戦でハンバートハンバートの『笑ったり転んだり』を知って以来、頻繁にYouTubeでかけるようになった。そのコメント欄を見ると、昨年妻を亡くしました。妻との日々が思い出されて涙が止まりませんなど、亡くした大切な人想うコメントで溢れている。関連動画に出てきた宇多田ヒカルの『花束を君に』も同じく、コメント欄が悲しみの体験談の披露の場となり、そしてこの歌に救われたと結ばれる。くるりの『Remember Me』に移っても同じで、歌を聴きながらそういったコメントを読むと、もちろん涙をこらえることができない。音楽は時に、聴く人を救う力を持っていると思うが、ここではコメント欄に悲しみを吐露してシェアし、それに対してコメントやいいねがつくまでが救いの作用のセットになっている。とても現代的なセラピーの場かもしれないと思った。
 その子供たちと一緒にテレビの歌番組を見ているのだが、過激な衣装やメイクで、過剰というほかない曲を歌う人たちの歌詞や主張が、非常に真面目で、時に陳腐極まりないとさえ思う。世の中の方が狂っているから、せめて音楽では正しいことを主張しようとしているのだろうか。ただ、この人たちは社会的正義を、自分の本心と勘違いしてしまっているのではないかとも思える。こと芸術においてその態度は、自分を明け渡すようで危険だと思う。もっと自分でも手に負えないものの発露が音楽だと思っているのだが、まあそういう音楽をやっている人はテレビには呼ばれないか、とひとりで納得し、イヤホンをつけてエイフェックス・ツインを聴きながらこれを書いている。

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