ここのところロバート・フランクのことをずーっと考えています。
もうだめお腹すいた、もうだめ眠たい、と同じくらい体の奥底から湧き上がるように、もうだめフランクの写真と映像がもっと見たいと求めています。
なんでこんなに惹かれるのかと思うと、それは「自由」ということに行き着くのですが、もっと言葉を尽くそうと思ってもなかなか難しく、「とらえどころのなさ」や「茫漠とした良さ」くらいしかその魅力を言葉にすることができません。だからこそ惹かれるのですが。
予期せぬ失敗を甘く見てはいけない。その失敗を予期していなかったということは、それは自分の想定外にあったものなのだから、発見である。と常々考えながら制作していますが、フランクの作品はこれに満ち溢れていると感じます。
そんなことを考えながら出会ったのが、サミュエル・ベケットの言葉を引用した倉石信乃さんの『スナップショット 写真の輝き』という本のページです。
…芸術家であるとは、他の何人もあえて失敗しないやりかたで、失敗することにほかならぬということ、失敗こそ芸術家の世界であり、それから尻込みすることは鮮烈放棄…
さらに倉石さんは「失敗が許されないというよりも、成功しか許されないことが、今日の芸術作品を模造品に変えている」と続けます。
「芸術家であるとは他の何人も失敗しようとはしないやりかたで、失敗することにほかならぬ」という言葉に、まじ、それ!と膝を打ちました。そして、どうせやるなら失敗してすり傷程度で済むようなことではなく、失敗したら複雑骨折するくらいのことをやらないと、と肝に銘じています。
それを実践しているのがロバート・フランクとジャン=リュック・ゴダールだと、ジム・ジャームッシュはフランクとの対談で語ります。
…彼も常に作品がプロセスであるという点であなたに似ていますね。失敗する可能性を持ちながらその失敗から学びとる…
…あなたの作品には個人的なものがたくさん入っています。あなたの作品はあなたの生活から、あるいはあなたの人生の個人的な事物から切り離されていません…
フランクのどの作品からも、まだ完成していないような、まだ終わってないような印象を受けます。それをジャームッシュは「作品がプロセスである」と言っているのだと思います。
常に私たち鑑賞者が完成した作品ではなくプロセスの渦中にいるような、動的な心地というのをふたりの作品からは受け取ります。そしてそれが個人的な生活から切り離されていないというのもふたりの共通点であり魅力だと思います。
こういった作品はとても手強い、手懐けられない。それは飼い慣らされていない、手中にない、つまり所有できないということになります。
だからフランクの作品に野良犬のような自由を感じるのと同時に、でも家で飼ってみたいと求めてしまう二律背反の魅力を感じるのだと、ここまで書いてひとまずはひとつの納得を得ました。