SHUHEI HATANO
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水道橋駅の立ち食い蕎麦屋で

07.12.2025

 前回のブログで盗み聞きした会話について書いたので、今回も記憶に鮮明に焼き付いて離れない盗み聞きした会話を記したいと思う。盗み聞きと言うと人聞きが悪いかもしれないが、どうにも聞き逃せなかった味わい深い会話として皆様にも聞いてもらえればこれ幸いである。

 スマホの中も年末の大掃除を始めている。メモアプリに大量に残された走り書きにその会話は残されている。削除する前にこちらに転載し成仏させようと思う。時はちょうど3年前の2022年の師走、処は飯田橋駅の立ち食い蕎麦屋。

 お昼もずいぶん過ぎた頃に用事を終えて逃していた昼飯にと水道橋駅改札出てすぐの立ち食い蕎麦屋の暖簾をくぐる。立ち食い蕎麦といっても壁沿いには椅子があり、そこに座してかき揚げうどんを待つ。西で生まれ育った私には蕎麦は馴染みのない食べ物であった。蕎麦を食べるのは年に一度の年越し蕎麦のみ。日頃すする麺といえばもっぱらうどんであった。その名残りか東京に居を移してもうどんをよく食べる。はじめはそのどす黒い汁に辟易したものだったが今となってはその黒汁にかき揚げをどぶと浸け崩し、うどんと一緒にすするのがこの上ない喜びとなっている。しかし東京でうどんを頼むのにはなかなか度胸を要する。時間を惜しむサラリーマンで雑踏するカウンターで次々と注文される蕎麦の群れに迅速に対応する滑らかな流れの中に、楔を打つようにひとりうどんを差し挟むのは店内に湯気と共に醸成されたグルーヴを乱している感が否めない。加えてうどんは蕎麦のようにさっと湯通しすればよいというのではなく、しばし湯につけて待たねばならずひとりカウンター脇に避難してできあがりを待つためここでもまた店内グルーヴを乱してしまう。そして何より店の暖簾には蕎麦と銘打たれている。その日も針のむしろに座した気分でうどんを待っていた。すると聞こえてくるのは齢20半ばのふたりの令嬢の雑談。遅い午後のため人が多いとは言わないが、よそ様のことなど全く意に介さず臆することなく離れたところからでもはっきりと聞こえてくる声。

 「友だちのあれが不順で」
 「あー、ストレスと過労で一発で狂うからね。痩せてんの?」
 「いや普通。8ヶ月来なかったから病院行ったらバチボコ怒られて」
 「当たり前体操〜!いや普通子供できたんじゃないかって不安になるでしょ」
 「でも妊娠のためのイベントやってないから。食生活が乱れてんだよね、1日1食だから」
 「あー痩せはしないけど、栄養は足りずってやつね。まじ頭痛いわ。話題変えね?」
 「そうそう、その子頭痛いんだよね」
 「いや、私のこと。あーまじ頭痛くなってきた」
 「気圧?」
 「気圧」
 と立ち上がりどんぶりをカウンターに下げてスマホをいじりながら店を出て行くふたり
 「実家の天気見たら、雨雪雨雪だって、まじ辛、かわいそ〜」ガラガラ、ピシャン。

 はじめはうどんをすすりながら何気なく聞いていた会話だったが、「バチボコ」という言葉をフックに、抑揚に富んだ「当たり前体操〜!」で一気に相手の間合いに引き込まれ、うどんをつまむ箸を止めて聞き入るとそこへ、「妊娠のためのイベント」という男女のねんごろを表現した未だかつて聞いたことのないパンチラインに打ちのめされ、危うくマウスピースではなくうどんを撒き散らすところをすんでのところで持ち堪えた。そして正月の帰省のためか実家の天気を心配するエピローグにはなんとも心温まる人情噺の趣さえあるではないか。

 こうして急いでスマホにメモを取るはめになったわけだか、それにしてもまだ見ぬ活の良い言葉というものは、いつも唐突にごろんと路上に転がっているものだなあと感慨に浸りひたひたのかき揚げを頬張ったのであった。ごちそうさまでした。

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